top of page

コモンズとは - 現代に必要な、古くて新しい営み

  • 8月21日
  • 読了時間: 8分

更新日:3 日前


Årc yakushima のことを、私たちは「コモンズ」と呼びます。ですが、コモンズという言葉に聞き馴染みのない方もいると思います。ここでは、その言葉が背負ってきた長い歴史をたどりながら、なぜ私たちがこの言葉を選んだのかをお伝えします。少し長い読み物ですが、Årc のいちばん奥の考え方に触れられるはずです。


What is Commons


1. はじまりは「共有地」だった


コモンズ(commons)はもともと、中世ヨーロッパ、とりわけイングランドの「共有地」を指す言葉でした。放牧地、森、水辺、荒れ地。それらを、村の人々が共同で使う。個人の所有物でもなく、領主だけのものでもない。村の慣習にもとづいて、みんなで使い、みんなで管理する土地です。


ここで見落としてはならないのは、コモンズが「誰のものでもない土地ではなかったということです。村人(commoner)には、そこで牛を放し、薪を採り、木の実を拾う 利用の権利 がありました。そして同時に、「牛は一戸あたり何頭まで」といった、使いすぎを防ぐルール が共同体のなかに息づいていました。


つまりコモンズとは、最初から、土地という資源そのものを指す言葉ではなかった。それは、その資源をめぐる人々の関係と、手入れのルールの束だったのです。この一点が、後で Årc の定義につながる、いちばん大切な出発点になります。



2. 囲い込み ── 共有地が、私有財産に変えられていく


15世紀から19世紀にかけて、イングランドでこの共有地が次々と姿を消していきます。地主たちが共有地を柵で囲い、自分の私有地へと変えていった。これが「囲い込み(Enclosure)」です。


きっかけのひとつは、羊毛でした。毛織物産業の隆盛で、羊を飼う牧場のほうが儲かる。だから地主は、村人が使っていた共有地を囲い込み、羊の放牧地に変えていきます。土地を追われた農民は、暮らしの基盤を失い、都市へと流れ、やがて工場で働く賃金労働者になっていきました。


この光景を、トマス・モアは『ユートピア』で「羊が人を食う」と表現しました。おとなしいはずの羊が、人間を土地から呑み込んでいく、と。後にマルクスは、この囲い込みを資本主義の出発点(本源的蓄積)として位置づけます。


囲い込みのメカニズムを、剥き出しにするとこうなります。

みんなの暮らしの基盤だったものが、柵で囲われ、市場で売買される私有資産に変えられ、そこに依っていた人が、土地から弾き出されていく。

共同で管理されていた豊かさが、市場で取引される商品に変えられていく。そしてこの論理は、決して過去のものではありません。同じ現象が、いま世界の観光地で、この屋久島でも起きています。


屋久島では、東京からの直行便の就航計画やインバウンドツーリストの増加を背景に、住宅が次々と宿泊施設へと変わっている。暮らしの器であった住まいが、収益を生む市場資産として「囲い込まれ」ていく。その結果、働き手や子育て世代が住む場所を得られず、島からひとが減っていく。500年前のイングランドで起きたことと、構造は同じです。


Årc が進めようとしている住まいのプロジェクト(Local Coop Housing)は、単なる住宅供給ではありません。それは、囲い込まれていく暮らしの基盤を、みんなのコモンズとして維持していく営みのはじまりなのです。



3. 「コモンズの悲劇」という、大きな誤解


20世紀後半、コモンズは一度、「うまくいかない仕組み」という烙印を押されます。


きっかけは、生態学者ギャレット・ハーディンが1968年に書いた「コモンズの悲劇」という論文でした。彼の論理はこうです。共有の牧草地では、各自が自分の利益のために牛を増やそうとする。誰もが同じことをすれば、牧草地はやがて食べ尽くされ、結局は全員が損をする。だから、共有はいずれ破綻する。救う道は、私有化するか、国家が管理するか、二つに一つしかない──。


このシンプルで強力なストーリーは、その後の数十年、私有化と市場原理を正当化する理屈として、世界中で引用されつづけました。「共有はダメだ、だから市場に任せよう」。囲い込みを肯定する、格好の根拠になります。


けれど、ここには大きな見落としがありました。ハーディンが「悲劇」として描いたのは、実は 誰も管理していない、開かれっぱなしの資源 でした。それは、ルールを持ち、共同体によって手入れされてきた歴史的なコモンズとは、まったく別のものです。彼は、無主物としての「オープンアクセス」と、統治されたコモンズとを、混同していたのです。


この混同を、実証によってひっくり返した人がいます。



4. オストロム ── 「コモンズは、統治できる」


エリノア・オストロム。2009年、女性として初めてノーベル経済学賞を受賞した政治学者です。彼女が生涯をかけて示したのは、ただ一つの、しかし決定的な事実でした。


コモンズは悲劇ではない。当事者が自ら治めるかぎり、それは市場にも国家にも頼らず、何百年も成り立ちうる。

彼女は机上の理論ではなく、世界中に実在するコモンズを一つひとつ足で調べました。スイスの高地牧草地。スペインの灌漑組合。フィリピンの水利システム。そして──日本の入会いりあいの山林。これらの共同体が、数百年にわたって、共有資源を枯渇させることなく持続的に管理してきた事実を、彼女は突きつけたのです。


ここには、Årc にとって二つの重要な意味があります。


ひとつは、コモンズが「運用可能な設計」だということ。 それは牧歌的な理想でも、過ぎ去った郷愁でもありません。成り立たせる条件さえ満たせば、現代においても実際に機能する、第三の道なのです。「共有はうまくいかない」という思い込みは、事実によって否定されました。


もうひとつは、その成功の鍵が「当事者による統治」にあるということ。 オストロムが数々の事例から見出した核心は、外から誰かが管理するのではなく、その資源を実際に使う人々自身が、ルールをつくり、互いを見守り、必要に応じて手直しし続けるという一点でした。使う人と、治める人が、同じであること。ここにこそ、コモンズが持続する秘密がありました。


この二つは、Årc の骨格と一致しています。Årc の Co-Owner は、この場所をただ別荘のように「利用する」のではありません。経営に参加し、意思決定をし、プロジェクトを動かし、知恵と人脈を持ち寄る。使う人が、治める人でもある。オストロムが発見したコモンズ持続の条件を、Årc は Co-Owner という協働のかたちで実装しているのです。


そして、もうひとつ書き添えておきたいことがあります。オストロムが実証事例として選んだ対象のひとつが、ほかならぬ日本の入会林だったこと。コモンズは、西洋から輸入された新しい概念ではありません。 それは、この国がもともと深く持っていた統治の知恵でもあります。Årc がしているのは、失われかけたその知恵を、現代に耕しなおすことなのかもしれません。



5. コモンズは「名詞」ではなく「動詞」である


近年、コモンズという言葉は、土地を超えて大きく広がりました。オープンソースのソフトウェア、Wikipedia、Creative Commons──知識やデジタルのコモンズです。共有される豊かさは、もはや森や水だけではなくなりました。


そしてもう一つ、大きな転換が起こります。コモンズを「モノ(資源)」としてではなく、「行為実践)」として捉える見方です。これを「コモニングcommoning)」と呼びます。


この考え方は、こう教えてくれます。

コモンズとは、そこにある資源のことではない。人々が分かち合い、手入れをし、共に治める──その営みが続いているあいだだけ、コモンズは存在する。営みをやめれば、それはただの資源に戻ってしまう。

コモンズは、静かにそこに「在る」ものではなく、絶えず「する」ことによってのみ保たれる。名詞ではなく、動詞なのです。


Årc での滞在において、誰かと食事や車をシェアすること。庭や畑を少し手伝うこと。知識や経験を分かち合うこと。共有の空間や道具を、次の人のために整えておくこと。これらの小さな営みの一つひとつが、まさにコモニングそのものです。滞在することが、そのまま「コモンズをする」ことになる。 だからこそ Årc は、滞在を「利用」ではなく「循環に加わること」と呼ぶのです。



6. Årc にとって、コモンズとは


長い歴史をたどってきました。中世の共有地から、囲い込みへ。悲劇の烙印から、オストロムによる再発見へ。そして、動詞としてのコモニングへ。この流れの果てに、Årc のコモンズは立っているようです(実際には、私も後になって知りました…)。


私たちの定義を、あらためて置きます。

コモンズとは、自然・アート・暮らしといった、商品ではないはずの、営みや分かち合うべき豊かさを、市場に囲い込ませてしまうのではなく、関わる人々が自ら手入れをし、共に治め、次の人へと手渡していく──その関係と実践のことです。

かつて屋久島の森や水や土地は、神であり、畏敬を抱き、恵みをわけあい、みんなで守られてきました。やがてそれらは商品化され、区画化され、国有や、私有財産へと変えられ、市場経済が始まります。けれど──共有されてきた豊かさは、当事者が自ら治めるかぎり、いまも確かに成り立ちます。日本に「入会」という伝統が息づいてきたように。


Årc は、その古くて新しい知恵を、屋久島というこの場所で、現代のかたちに耕しなおす試みです。そしてこのコモンズを、どうやって続く仕組みとして回していくのか──その問いへの答えが、「コモンズエコノミー」です。



bottom of page